たれかおもはむ

詩:島崎藤村 曲:澤村祐司

箏歌:澤村祐司 尺八:福田智久山

作曲エピソード  

2011年の3月、日本は大変な災害に見舞われてしまいました。 「今夏は三陸の鉄道に乗りに行こうか…」などと考えていた矢先の出来事。 ラジオのニュースに涙は溢れ、絶えず揺れる日々の中で不安はつのるばかりでした。  

その二ヵ月後のとある舞台で、私は、宮城道雄作曲の『潮音』を演奏していました 。「わきてながるゝ やほじほの そこにいざよふ うみの琴…」 島崎藤村の第1詩集『若菜集』からとられたというこの歌詞に触れた時、私は 「海を詞った曲を、こんな時期に、はたして演奏して良いものだろうか…」とも 考えました。しかし、背景を調べていくうちに、若菜集を遂行していたであろう 1896年の6月、彼は教師をしていた仙台の地で「明治三陸大津波」の惨状を目の 当たりにしていることが分かり、そんなさなかでも、偉大な海、穏やかな海を表現 したのかと考えていたら、私も次第に「潮音」に対する思いが深まったのでした。  

そして、その年の秋、私は、幼い頃から盲学校でお世話になっていたI先生の案 内で、仙台市と相馬市の学校を訪問することができました。もちろん『潮音』も 演目に含めてです。地元の方とお話をすると、「あの時、海は荒れてしまったけど、でも私達は、やっぱり海は好きだもの…」とおっしゃり、胸があつくなりました。  

公演が終わると、「あなたにはね、演奏ももちろんだけど、この、浜辺のものにも 、ちゃんと触れてほしいのよ」とI先生。浜辺に降りると、立ち込める重油のにおい 、引っくり返された防波堤のかけら、建物の骨組みから飛び出した消火栓の蓋…。 そこで、やっと私の中に「本当の3.11」が起こり、ただただ沈黙してしまったことを 今でもはっきり覚えています。そして、自分は、箏曲の道の、学びと演奏と作曲を 通して、日本の風情を伝えていきたいと、強い気持を持ちました。  

そんな思いを持ちながら、翌春、若菜集を読んでいますと、馴染みの詩に 出会いました。「うてや鼓の 春の音…」、「くめどつきせぬ わかみづを…」。 宮城道雄作品になった詩です。五七調で書かれたリズミカルな音。私も、この中から 一つを選んで作りたい、しかも、多くの方に親しんで頂けるような曲を作りたい。 思いながらふっと心にとまったのが『たれかおもはむ』でした。六行一組の詩が 三つ。しかも、それぞれの最後の二行は一語を除いて同じ言葉でした。 「あゝよしさらば ○○に うたひあかさん 春の夜を」。  

言葉の一つ一つに、メロディーと和音を当てはめ、時間がなくなったので旅に出て 、あれは確か、飛騨高山辺りを列車で走っている時に、前奏が浮かんだのでした。 箏と尺八、そして歌の三重奏による『たれかおもはむ』が誕生した瞬間でした(箏は 弾き歌いなので二重奏となりましょうか)。

以来、多くの場所、そして多くの方とのご縁で再演の機会にめぐり合えている ことに、とても感謝しております。後になって分かったことですが、この詩も実は、 宮城道雄作の『春のうた』という曲になっていました。ゆったりとした3拍子の 曲です。道雄先生は、この詩を、どんな気持の時にお選びになったのだろうかと 思いながら、『春のうた』への学びも深めたいと考えています。