旅の思い出~特急北越~

京都から、金沢経由で新潟までの「一枚の乗車券」。
今ではもう、手に入れることのできない、北陸線信越線経由の、大切な乗車券。

あれは、北陸新幹線が開業する二日前、2015年3月12日。

早めの用事が京都で終わり、一人、中央改札の前に立っていました。

14時、16時半、20時半、22時半…。

頭の中には、この四つの数字が…。

そうだ!金沢へ行こう!新潟へ行こう!
それからでも、東京には帰れる。

鉄道ファンたちは、北陸新幹線の開通を前に、
無くなってしまうからと、特急はくたか(金沢~越後湯沢)の、
最後の乗車をせんと、賑わっているのは知っていました。

でも、私は違う!
金沢~新潟を結ぶ、「特急北越」。こっちに乗りたかったんです。

はくたかと北越。どこが違うのか。二つあります。
一つは、金沢~越後湯沢だと、途中、トンネルばかりの北越急行線
(直江津~六日町)を通るため、あまり旅情が感じられないと思ったのと、
何より、度々用事で通っていました。

そして、二つ目。こっちが大きな理由なんですが。車両が違う。
はくたかには、ここ20年以内に作られた681系や683系が使われていましたが、
北越には、昭和中期、まだ国鉄の頃に作られた485系が走っていました。
これが、なんともいえない暗さを秘めたような低い音(ブロワー音)で、
トンネルの中を駆け抜けている時なんか、もう、本当に幸せな気持になるんです。

頭の中にはもう、ブロワー音が響いていました。

切符を求め、改札をくぐり、蕎麦をすすり、0番乗り場。
14:10の特急サンダーバードで、まずは金沢へ向かったのでした。

いそいそとした気持を、時速140を超えるスピードで、
快調に運ぶ新車両、確か683系。本当に静かでした。

どんよりと冷えた金沢に降り立ったのが16時半。いよいよその後が、メインイベントとなるのです。

発車8分前。低い音を屋根に反射させながら、特急北越が入線。
中に入ると、新車両にはない、独特の暖かさに包まれました。

そして、16:46、定刻に発車した特急北越。
そういえばレールに響く車輪の音が静か。もしかして外には、
まだたくさん雪が残っているのかなと、
そんなことを考えているうちにも、列車は時速120に到達。
うなる低い音。これを待ってた。最高だ。

明後日、新幹線が開通したら、もう、この音が、この線路には響かなくなる。
北陸線の金沢~直江津は、三社の民間鉄道に分割されてしまう。
特急はくたかの名前は新幹線が引き継ぐけど、
こっちの北越の名前は、明日で最後。本当のお名残乗車だ。

加賀路を抜け、越中。高岡、富山、魚津と過ぎれば、トンネル多発区間に入っていく。
この辺は、海と山の間が狭く、昔は、線路は度々波をかぶっていたそうで、
昭和40年頃から、山を掘り、トンネルを建設していったようです。
5キロや10キロは当たり前。長いトンネルに次々と突入。
響き渡る低いうなりが、いっそうの快感と寂しさをかき立てました。

金沢を出て、丁度半分の直江津を過ぎると、
車掌さんの声が変わる。JR西日本からJr東日本に入ったのです。
ここからは、割と平らな部分が多いのか、トンネルは、だいぶ少なくなりました。
しかし、柏崎が近づくと直ぐ左は日本海。ごうごうと吹く風の音が聞こえてきました。
風をもろに受ける列車。あんのじょう、「風が収まるのを少し待つ」とのアナウンスが

動揺するアメリカのご夫婦らしきお二人と車掌さんとの、英語、日本語のすれ違いが聞こえる。

私は、「エクスキューズミー」を皮切りに、何とかかんとか会話を始めました。
今夜中に東京に行かれたいご様子のお二人に、今の状況とか、
途中の長岡からの新幹線は、まだ何時と何時があるから心配はいらない旨を、
ばらばら英語で説明しました。これも旅の醍醐味でしょうか…。

風もおさまり、列車は12分遅れの20:38、
無事に新潟に到着しました。

きっと、たくさんのドラマを運んできたであろう、特急北越。
こうして乗り納めることができたことに、心から感謝をしながら、
22時半。無事に東京に着いたのでした。

すごーく長い文になりました。
読んでくださって、ありがとうございました。  こころね